しんぐるまざあず・ふぉーらむ

児童扶養手当Q&A

養育費私の場合1 裁判編

裁判で決まったのですが、正確にいうと判決ではなくて裁判官を交えた和解条項を東京地裁で作成したのです。養育費のみならず面接交渉の細かいことも盛り込みました。                       

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別居した当時、4歳と、生後5カ月の子どもはようやく離婚が成立した時は8歳と4歳になっていました。裁判はほんとうに時間がかかります。

生活費も止められ、俗に言う『干ぼし』状態でした。着の身着のまま、子どもの着替え何枚かと哺乳瓶だけ持って実家に転がりこんだので、オムツを買うお金はもちろん仕事に就くまでの4カ月は実家にすべて『おんぶに抱っこ』、その後一度も戻らず、荷物の引き取りもあきらめた・・・という別居の始まりでした。

まず養育費の額をどう算定したかというと、ご存知のように家事問題は家庭裁判所での調停を経なければなりません。お互いに離婚の意思があっても、家庭裁判所の調停をとびこして双方の主張に白黒つけることはできません。

私の場合は東京家庭裁判所にまず『婚姻費用分担事件』として調停の申し立てをしました。相手側は離婚の申し立てを行いました。

婚姻費用分担というのはその名のとおり婚姻中の費用を双方の状況に応じて分担させる、つまり生活費を払わせるということです。双方の収入、家計調査など細かい作業を積み重ねながら、こちらが要求する額を算定しました。この婚姻費用というのは養育費とは違って別居中の妻の生活費も含まれます。(離婚が成立していないので子どもの保育料は夫の所得で算定されます。私は生活費すら渡されていないのに不幸にも一番高額の、2人で約6万4千円という保育料でした)。

約2年間、調停を重ね、ようやく家庭裁判所で審判が下され、婚姻費用が決定しました。その後、家庭裁判所から東京地裁に場所を移して離婚裁判が始まりました。

裁判所というところは妥協できるところからつついて和解をまず勧めます。私の場合も多くの時間を費やした後、和解条項案を作成しました。私としては同じ結論であっても和解ではなく判決がほしいという思いは強く持っていたのですが、一応『和解案』を作ることにしました。

家庭裁判所で決まった婚姻費用をベースに妻分を差し引いたものを養育費ということにしました。

和解の当日、「22歳まで支払う」という案に対し、「18歳まで、さらに月額2万円の減額」と言い出しました。和解案を調印の日に覆すという姑息な手段に、私は弁護士とともに『和解はできません。上級審で争います。』と席を立ちました。

しかし、裁判官が私たちを追いかけてきて「これ以上時間をかけることは避けるべき」と言うのです。 

確かに健康保険証もない状況がこのあとまだ2年以上も続くのかと思うと、さっさとすっきりしたいという気持ちもありました。結局「保険証がほしい・国保に入りたい」がために、怒りながらも「月額2万の減額」を受け入れ、「養育費の支払いは19歳まで」という修整和解条項を受け入れたのです。

双方の弁護士と裁判官の前で判を押した離婚届はその晩、私が市役所の夜間受付で提出しました。

大まかな和解条項の内容は

① 支払いは長男名義の銀行口座に月初めに振込

② 面接交渉は隔月1回、夏休み・冬休み各1回の年8回。10時から15時

③ 学期末ごとに通知表、健康の記録の控を送付

④ 債権債務は存在しない

 月初めという取り決めなのでだいたい10日までにはこれまで振込まれています。今のところ滞納はありません。

面接交渉に関してはアレコレと言ってきて1年後に10時から17時に延長をしました。それでもいまだに「もっと時間を延長しろ」とか「泊りを認めろ」とかの申入れはありますが、下の子の状況や翌日の学校のことを考えて「これ以上の延長はできかねる」と弁護士経由で再三再四にわたって対応しています。もちろん中学生ぐらいになって子どもが「泊りたい」というような状況になればそれはかまわないと思っています。

通知表の送付は3年目ぐらいから子ども自身が「止めてくれ」と言ったので今は送っていません。 

一緒に住んでいたマンションの頭金は、私の実家の両親が出したのですが、その返済もなし、財産分与もなしでした。財産分与はマイナスも分与されます。マンションの名義は100%夫だったので、ローン残高の半分を負担することは避けました。

 調査官がつく家庭裁判所と違って地裁レベルでは子どもの福祉という観点は後退してしまいます。裁判所が変わると、また最初から書類をそろえることから始めなければなりません。そのような当事者の利益から考えても司法改革の一環として離婚に伴う訴訟は家裁で一本化という方向を歓迎すべきことと思います。

最後にもう一点だけ・・・。

調停も裁判も、弁護士さんとの出会いで結果が大きく変わるということ。思うような動きをしてくれない弁護士だと感じたら、思い切って弁護士を変えることも重要なことです。私は女性の弁護士さんでした。保育園の送り迎えの大変さや子どもの病気で仕事を休まなければならない辛さなどを共有してもらえたことは、出口の見えないトンネルに迷い込んでいるような状況の中ではほんとうに心強かったです。女性、男性の弁護士ということよりも、その人個人の人間性が大きいと思います。男性の弁護士さんでもほんとうに子どもの気持ち、立場を考えてくださる方々も私は知っています。

さらに担当の裁判官、調査官の当たり外れが大きな影響を与えることが多分にあるのです。協議離婚であっても裁判離婚であっても譲れるところと、「これだけは絶対譲れない」という優先順位を明確に持つことが大事なことだと思います。

 裁判所を出てから弁護士さんが『さあ乾杯しよう!』と日比谷公園の松本楼に連れて行ってくださいました。

オープンテラスでビールとサーモンマリネとビーフシチューで祝杯をあげました。ほんとうにおいしいビールでした。天にも昇る気持ちというのはこのことかと思いながら、裁判所から保育園に子どもを迎えに行きました。『離婚成立しました!』と駆け込むと先生方の笑顔で緊張が解けたのか、ポロポロと涙がこぼれてしまいました。

長いながい裁判でほんとうに疲れましたが、弁護士さんや保育園の先生、職場に守られながら、ここまで来れたのだと思います。(K)

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